平成16年8月27日号(HTML版)VOL.52
山口県広報広聴課

おもしろ山口学

リレー随筆「SLやまぐち号 25年の軌跡」 著/田丸 道男(JR西日本 山口鉄道部長)

第1回 『蒸気機関車への郷愁・復活』

SLやまぐち号 「貴婦人」の愛称で知られる蒸気機関車「C57-1号機」が「SLやまぐち号」として、今日も多くの人を乗せ山口線を走っている。昨年、「やまぐち号」をご利用いただいたお客様は150万人を超えた。
 昭和50年12月、北海道での運転を最後に国鉄の蒸気機関車は全廃された。昭和40年代初めに始まった近代化計画によるものであった。しかし、蒸気機関車への強い郷愁から、運転再開を望む声があがり、昭和54年8月1日に復活した。今年で25年目を迎える。四半世紀の長きにわたって山口線を走り続けてきたことになる。
 「やまぐち号」は新山口駅を出て湯田温泉、山口市街をぬけ阿東高原を走り津和野駅を目指す。その間、ビジネスマン、畑仕事のお年寄り、保育所の園児たち、住宅地の若い母親と子供などが立ち止まり、また、並走する観光バス、トラックなどは車の中からも、必ずといっていいほど「やまぐち号」に手を振る。人と「やまぐち号」には対話がある。まさに沿線に溶け込んだ「やまぐち号」といえる。
 7月3日からC57とC56の重連運転が始まった。7月22日には恒例となったSLまつりも開催された。そして、8月1日の記念日には篠目(しのめ)駅でC57とC56の行き違い運転を行う。JR東日本なども蒸気機関車を運転しているが、行き違い運転は初めてのことである。煉瓦造りの給水塔や、腕木(うでぎ)式信号機を背にした蒸気機関車の姿はSL全盛期を思い起こさずにはいられないだろう。この夏には、熱い篠目駅と「やまぐち号」の魅力をぜひ体感してもらいたい。



第2回 『山口線と鉄道文化遺産』

篠目駅にある煉瓦造りの給水塔前を通るSL「やまぐち号」。手前には腕木式信号機も見える。 山口線は大正12年に全線が開通した。鉄橋、トンネルなどの構造物は当然、大正時代のものである。新山口~津和野間に木戸山、田代、白井トンネルなどがあるが、出入口付近を目を凝らして見ると煉瓦で造られていることがわかる。アーチは煉瓦構造、側壁は石と煉瓦構造となっている。煉瓦は深みのある時の流れを感じさせるものを持っている。また、車内からは見えないが、田代トンネル両出入口上部に漢詩の額が嵌(は)めてある。仁保側には「柔遠能邇 正毅」(※1)、篠目側には「造化譲功 素水」(※2)と、いずれも山口県が生んだ軍人で宰相となった、寺内正毅と田中義一の揮毫(きごう)(※3)によるものである。
 今年の春、松本清張の「砂の器」がテレビで放映された。木次(きすき)線亀嵩(かめだけ)駅として篠目駅が撮影の舞台となった。篠目駅には大正11年に建設された煉瓦造りの給水塔がある。その給水塔付近には機能はしていない腕木(うでぎ)式の信号機も建っており、開通当時の風景を見ることができる。「砂の器」の舞台として、格好のロケ地となった。放映されて4カ月以上たった今も、多くの人が篠目駅を訪れ、給水塔を背に写真を撮っている。
 津和野駅には蒸気機関車など車両の向きを換える転車台車がある。大正12年製で80年以上経過している。今なお現役である。昨年10月の天皇皇后両陛下津和野行幸啓の折、5両編成のお召列車を全て方向転換させるという重要な役割も果たした。また、復活25周年記念事業の一環として、上り出発信号機付近と転車台付近に腕木式信号機を建植した。この腕木式信号機は、昭和56年9月の津和野駅腕木式信号機廃止後、津和野町に貸与された蒸気機関車「D51-194号機」とともに建植されていたものであるが、大正から昭和初期の原風景を再現するとともに、鉄道文化遺産としての腕木式信号機を末永く保存するため移設したものである。
 山口線には大正時代のものが多く残されている。2時間かけた「やまぐち号」の旅もよいが、途中下車をしてゆっくり往時の鉄道文化遺産を訪ねる旅もいいものである。

※1 柔遠能邇… トンネルが開通したために遠くの人も近くの人も便利になり、幸せになるだろう。
※2 造化譲功… 万物を創造する神(造化の神)も功を譲った。
※3 揮毫(きごう)… 毛筆で文字や絵をかくこと。特に、知名人が頼まれて書をかくこと。



最終回 『鉄道固有の技術を(まも)る』

SLやまぐち号 「C57-1号機」は昭和12年3月に誕生した。爾来(じらい)、67年かけて365万キロ走行している。東京~新山口間を3,500回走ったことになる。この間、部品の磨滅、磨耗、劣化や腐食、毀損(きそん)と格闘しながら、梅小路(うめこうじ)運転区と山口鉄道部の少ない練達の技師たちの高度な技術と入念な手入れに支えられ、また、ベテラン機関士や機関助士の卓越した操縦技術によって、まだまだ現役として活躍している。四半世紀25年間にわたり護り抜いてきたことは、驚異的なことといえる。
 蒸気機関車の運転室は他に類を見ない過酷な職場である。しかし、人の力、職人の技で動かすこの過酷な仕事には、今の仕事の中で味わうことの少なくなった達成感がある。機関士、機関助士は、冬季の寒風の吹き込む寒さ、夏季の60度以上の高温の中で、新山口駅を出て帰るまで人の力で約2トン以上の石炭を焚き、圧力の上がった蒸気を効率よく使い1000分の25の急勾配を登る。トンネルの中の熱気と煙、吹き出る汗、自信と誇りを持った二人の職人は全身全霊をかけ五感を働かせ、信頼と絶妙のコンビネーションでこの過酷な仕事をこなしていく。
 今では、蒸気機関車の仕事に携わった者は非常に少なくなった。「やまぐち号」には新しい部品は無い。不具合が生ずれば静態保存の車体からの借用か、技術者によって手作りをする。しかし練達の技術者は年々少なくなり、今では数名を残すのみとなった。130年間にわたって脈々と息づいてきた蒸気機関車は鉄道の原点であり、歴史的鉄道文化遺産である。多くの先達によって営々と築き上げられた整備と操縦という鉄道固有の技術と文化は、心に響きわたる汽笛の音、ドラフト音とともに途絶えさせることはできない。職人達の熟練の仕事は確実に後世に継承していかなければならないし、これは山口鉄道部の使命であると考えている。

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