平成16年7月9日号(HTML版)VOL.49
山口県広報広聴課

 
おもしろ山口学
 
 
リレー随筆 「宇野千代からの贈り物」 著/保田 正子(宇野千代顕彰会 会長)
 
 
第1回 『生い立ちからの人生』

宇野千代の生家
宇野千代の生家
 宇野千代は明治30年11月28日岩国市川西に生まれ、18歳で故郷岩国を出奔、各地を遍歴しつつ次第に作家として確たる地位を築いて行った。後年「故郷こそ私の全てである。」と締(し)め括(くく)っていたが、平成8年6月10日、98歳の天寿を全うして、故郷の父母の眠る教蓮寺に千代も永久の眠りについた。
 ところで、生い立ちと言えば岩国ですごした生後の17年がそれに当たるのであろうか。小学校時代、高等女学校時代は周囲の全てを吸収し、次第に自我に目覚めてゆく多感な時期、頭のいい、想像力の強い千代が岩国の地理や風俗・習慣など克明に銘記していたのに驚かされる。後に書かれた、岩国をイメージした幾つかの小説を読むとその事がはっきりと認識できる。しかも、当時、千代の家庭環境は必ずしも良いとは言えないのである。
 極めて個性の強い父が支配していたので長女の千代、継母、異母弟妹は肩を寄せ合い「命令に従順に」暮らしていた。それでも千代はその父を畏敬し愛し心に架(か)けていた。千代は一生懸命に勉強した。学校の成績は抜群で毎春の終業式には旧藩主様から褒美を貰うほどで、この時ばかりは峻厳(しゅんげん)・スパルタ式の父が喜んで千代を連れて知り合いに褒美を見せて廻ったという。千代は父の喜ぶ姿に、自分が認められた喜びを強く感じていた。自分の努力で、好きな人(父)を喜ばせることの喜びは長じて宇野の愛の構造になったのではないかと思う。作家、山田詠美が丸谷才一との対談でいみじくも言っている。(宇野千代の場合男と女の間で)『自分の心が欲するままに相手に尽くして彼が喜ぶ顔を見るのは快楽である。それは決して犠牲的精神ではない不思議な構造』と。宇野千代の“尽くす”は千代の生い立ちに根ざし、培われたと言ってもいいと私は思うのである。
 


 
第2回 『宇野千代作品から見た世界観』

最後の帰郷となった顕彰碑の除幕式
最後の帰郷となった顕彰碑の除幕式
 宇野千代全作品リストが示しているのは、何と70年余りの長期間、文壇での作家生命を保ち続けた立派さと、その長い歳月の割には寡作である事とに気が付く。寡作の原因は何所にあるのか?思うに千代は父親の性格を受け継いで(父は放蕩無頼(ほうとうぶらい)と千代は書いた)、まるで地を這う蟲(むし)か、空を飛ぶ鳥のように心のままに夢中に行動したからではないだろうか。恋をしている時は相手に尽くすことに余念がなく、小説を書くどころではなかった。恋に破局がくると冷静になって、もの書きに専念し、作品を生む。失恋の大波を何度もクリアして一作ごとに脱皮を繰り返し高みに至ったのは、瀬戸内寂聴さんが言われるように「宇野さんは骨の髄から小説家」だからである。しなやかさと優しさの一方、強い意志が純粋文学を貫いたといっても良い。
 千代自ら、初期の作品は、奇抜で面白い事を書こうとした、恥ずかしい、責任の持てないものばかりであると、後年告白し、従って自分の作品は中・後半のものを読んでほしいと語っている。昭和17年に徳島の人形師天狗屋久吉を取材し、彼の生き方に感動してから文学的開眼をする。「文学には目的がある」「それは唯(ただ)一つ、仏さんや神さんを探す事だ」と気付き、文学に対する覚悟がまるで変わったのだと言う。以後、次第に遅筆になったのはより真剣になったからか。「私は昔から遅筆で一枚の原稿用紙を埋めるのに一日かける事もある。それは一枚の中に何十枚、何百枚に値するものを書きこみたいからである。」とも言っている。中・後期の小説や随筆を通して生きる事のモラルを確証し女の生き方を思想にまで高め、果てはモラリストとか、セラピスト、人生の達人、生きながら既に観音様などと言われる域に到達したのである。
 


 
第3回 『宇野千代からのメッセージ』

淡墨桜の観桜会で飾られたパネル
淡墨桜の観桜会で飾られたパネル
「今、あなたの上に現れている能力は
 氷山の一角
 真の能力は、水中深く深く隠されている」 宇野千代


 宇野千代は「私は格言を作るのが得意」と書いているが、それは自分が考えた格言を掲げる事によって、ある目標に到達出来るという暗示を架け熱中して行動するという宇野千代流の方法なのであろうか。彼女の著作をいろいろ読んで見ると、他を啓蒙(けいもう)する以前に自己に厳しい宇野の姿勢が窺(うかが)えるのである。俗評とは凡(およ)そかけ離れた宇野の真面目さ、律儀さを物語るもので、やがて「人生の達人」といわれたのも肯(うなず)ける。

「幸福は、遠くにあるものでも
 人が運んでくるものでもない 自分の心の中にある」 宇野千代

 幸福については生涯を通じて追求して来た宇野千代であった。「朝御飯が美味しければ一日が幸福」というほどに幸福とはごく身近にあっても気付かない些細(ささい)なことにもあるのだ。それを見つける事のできる人は幸福なのだと。それは“自分の心の中にある”のだというのである。

「人生はいつだって 今が最高の時なのです」 宇野千代

 宇野千代はいつだってプラス思考に過去(不幸)は考えないように自分を鍛錬していた。今を懸命に生きようとした。だからこそ、「人生はいつだって今が最高」と言えたし、いつでも何処でも楽しく活きよく、生きたのであった。