平成16年2月27日号(HTML版)VOL.40
山口県広報広聴課

 
おもしろ山口学
 
 
リレー随筆 「クジラ食文化あれこれ」 著/和仁皓明(下関くじら食文化を守る会 会長・東亜大学大学院 教授)
 
 
第1回 『なぜ下関?』

南氷洋鯨類捕獲調査船団
写真提供:(財)日本鯨類研究所
 昨年11月7日に下関市あるかぽーと岸壁から、南氷洋鯨類捕獲調査船団が、賑やかな出港式に見送られて出港した。下関が母港のように船団が出港するようになってから6年目。これには捕鯨に対する江島市長をはじめ多くの下関市民の熱い思いがこめられている。
 山口県は、もともとクジラに縁が深いところで、縄文遺跡からはクジラの骨が出てくるし、江戸時代に長門市周辺で長州捕鯨として栄えたという歴史がある。ところが幕末のころになると、米国やロシアの大型捕鯨船が日本近海にやってきてどんどんクジラを捕るものだから、長州捕鯨は一時期衰退してしまう。
 そこで、20世紀に入ると岡十郎という阿武町(あぶちょう)出身の人が、このままでは米国、ロシアに負けてしまうと長門市(ながとし)と下関市にノルウェイ式近代捕鯨の会社を設立する。それ以来その技術は大洋漁業(現在マルハ)に引き継がれて、山口県特に下関市は、20世紀中ごろには日本でトップ。国際的にもダントツの捕鯨王国になった。現在商業捕鯨は、クジラ資源回復のために国際的に一時休止し、資源調査のための調査捕鯨に限られていて、捕獲頭数も少ない。だが、下関市の捕鯨に対する熱い思いは、そんな歴史と伝統に裏付けられているということは覚えておきたい。
 

 
第2回 『訪ねてみよう』

写真提供:
下関くじら食文化を守る会
 江戸時代には、クジラ一頭獲れれば七浦栄えると言った。それほどクジラは、肉、脂身、皮、内臓、骨にいたるまで余すところなく利用され、人々の生活を支えた。
 この時代、山口県では長門市青海島の通浦という港が、この長州捕鯨の中心地。ここには立派なクジラ資料館があって、江戸時代の捕鯨の様子を図絵や道具などの展示品で知ることができる。この資料館の左手の石段を登ると、江戸時代のクジラ供養碑がある。捕獲された雌クジラの胎児を丁重に埋葬したお墓だ。このお墓が、クジラを鯨油だけの用途にしか考えなかった欧米の捕鯨者たちと、われわれ日本人とのセンスの違いを象徴している。
 さて、現代のことになると、下関の水族館(海響館)のシロナガスクジラ骨格標本を第一に挙げねばなるまい。これは世界に4体しか現存していない実物の一つ。体長26.5メートルにも及ぶ骨格は、見る人々を圧倒する一大モニュメントといっていいだろう。
 この骨格を見て外に出ると、そこにシロナガスクジラの銅像がある。日本語で「くじらさんありがとう」、そして英語とラテン語の同じ表現が併記されている。これが国際捕鯨委員会の年次報告書の表紙にそっくりデザインされ、一躍世界的に有名になった銅像である。
 

 
第3回 『百聞は一食にしかず』

写真提供:下関市観光振興課
 下関は、NHKの大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の追い風で観光客がどんと増えて、元気のいい街になった。
 観光巡りで一休みすると、次は何か美味(おい)しいものということになる。そこで「ふく、うに、くじら」の下関3点セット。この3点、まことに語呂の響きが良い。だが下関という町は、人口25万の都市にしてはクジラ料理の専門店が4軒も立派に営業しているという町だ。やはり歴史を背負っている町なのだ。
 豊前田仲通りの「下関くじら館」、岬之町の「長州くじら亭」、唐戸カモンワーフの「くじら屋」、そしてちょっと引っ込んで生野町の「宮の華」。これらのお店に行って「鯛の刺身」なんて注文したって、「うちにはクジラしか置いてません」と軽くあしらわれるだけ。たいていミンクかイワシクジラの赤身のお刺身、オバイケ、ベーコンなどの定番コースが組み立てられていて、そこそこの値段で食べられる。
 昔のクジラを知ってる人々は、「クジラは硬くて、ちょっとクジラの匂いが」と思い出す。だがそれはまだ船上冷凍の技術が発達してなかった頃の話。今の急速凍結されたクジラは、爽やかな味わい。ほとんどマグロの赤身にコクを付け加えた感じ。ちょっと生姜を利かせていただく。下関方言でいえば、「ブチ旨いけん、早よ来て食べりィ」ということなんだなあ。