第1詩集『山羊の歌』に収録された初期詩篇中の作品「帰郷」の一節が有名です。友人小林秀雄の筆によって、市内湯田温泉高田公園の詩碑にも刻まれました。
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる
あゝ おまへはなにをして來たのだと・・・
吹き來る風が私に云ふ
中也の歌う春風や秋の日射し、田んぼや雲雀(ひばり)や山の木々には、常にふるさとの風土が反映されているのではないでしょうか。
第2詩集『在りし日の歌』の中の「一つのメルヘン」の舞台は、中原家墓地横の吉敷川(別名水無川)といわれています。
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
さらさらという繰返しが、透明な空気まで伝えてくれるようです。同じ場所を未刊詩篇中の「蝉(せみ)」では
それは中国のとある田舎(ゐなか)の、水無河原(みづなしがはら)といふ
雨の日のほか水のない
伝説付の川のほとり、
藪蔭(やぶかげ)の砂土帶(さどたい)の小さな墓場、
と、より具体的に描いています。
他に山口市郊外小鯖の鳴滝を歌ったとされる「悲しき朝」の作が詩碑に刻まれました。
景勝地で知られる長門峡(阿武郡)には、絶唱「冬の長門峡」の詩碑もあります。 |